昭和44年01月31日 朝の御理解
御理解 第81節
「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」
向こうへおりたら安心じゃというところを、様々な取り方を致しましたですね。最近最近頂いた朝の御理解が、降りたら安心じゃというのは、お国替えを意味する。あの世へ行ったら安心だというふうにも受けられますね。今日はそこんところをまた違った角度から頂いてみたいと思うですね。十里の坂を九里半登っても安心してはならんぞと。安心はせんけれども慢心はする。ここまで信心が出来た。ここまでもう自分は登ったんだと。下を見たらまぁだなんぼでも登って来ている人がある。
もう自分はここまで登ったんだと。ここんところの境地を開いたんだと。いうようなその安心ではなくても、慢心が私はおかげにならんと思う。信心が段々まぁ十里のものが八里なら八里まぁ当たりまで登ってまいりますと、やはりなんていうかひとつの人生観といったようなものが変わってしまいますよね。物のより見方ですね。物の見方考え方といったようなものも変わってまいりますし、なるほど信心の程度の低い人、又は信心のない人達の考え方とは全然違ってくる。
だから本当に信心のない人信心の薄い人達に気の毒なごとなってくる。ところがぼちぼちこの辺になって来るところからですね、いわば自分じゃ慢心とは思ってないけれども、慢心になっておる事が多いのです。その証拠にはそれから上に登ろうとしない。これはねいかに信心が堂々回りとか足踏み状態とかというけれども、堂々回りをしておる時または足踏み状態である時にゃ、絶対後ろへ下がっておる時と思うて間違いないです。もうここまでは分かったと。ここまでは登ったと。
というておる時にはですね、そして上に登っていなかったらですね、もう必ずこれは信心の場合は、もう後ひざりをしているんです。私このそれで安心じゃとね。登り切って向こうへおりたらそれで安心じゃとこういうてござる、どういうところまで信心を極めたら、極めたらまぁいうなら登ったら、又は向こうへ降りたらとこうおっしゃるが、どういうところを向こうへ降りたらとか登ったらというおられますじゃろうか。どこまでいったら安心だろうかと。
またの御理解に、夜が明けたら元日と思い、日が暮れたら大晦日と思うてとこう言うておられますね。私はここんところがねそのう。日が暮れたら大晦日と思えれるところまでだとこう思うですね。日が暮れたら大晦日と思うてというような信心が出来たらね、もう間違いなし明くる朝は元日のような心持ちが生まれてくる。元日の心になろうとばっかり思うても駄目ね。日が暮れたら大晦日と思うてとおっしゃる、もう日々がね日々が日が暮れたら思うてと、こう思えれるところ迄信心を頂きますとね。
明くる日は目が覚めた時にはね、もうそれこそ目出度い有り難い、今日こそはというようなですね、いわゆる元日の心が約束される。大晦日の心をまず頂かずしておいて、元日の心だけ頂ける筈はないね。そこにね三代金光様がおっしゃった、信心は日に日に新でございますとあります、日に日に新なもの新しい事として、また信心の道を極めていこうとする精進の心というかね、またそれから登っていこうとするその意欲というか、いわゆる新に元気な心、生き生きとしてまた登り続ける事が出来る。
先日高芝さんのところの宅祭りにまいりました。今度新しい移られたあの大きな立派なお家です。立派な床の間に、神様と霊神様とがお祭りしてある、その神様の下にこんな大きな、まあ小石原かどっかあたりで焼いたでしょう焼きが、あのう縦に立てられた、その皿がまぁ観賞用です、置いてございます。それにはです達筆でその、徳川家康のまぁ人生訓というでしょうかね、家庭訓というですか。そういういうなら家康のまぁモットーとでも申しましょうかね。そういうのもが書いてある。
それには人生は重い荷物を担いで、しかも遠いい道を行くようなものだと、いうております。人生は重い荷物を担いで、しかも遠い遠い道をね歩くようなのだ一生。しかし立派なようですけれども信心させて頂くものが、私が見た途端にははぁこれが信心の無い人たちの、姿だなと私は思うたんです。救いがないでしょうがこれにはひとっつもね。その言葉には救いが無い光がない。はぁ人間ちゃ一生苦労せなんいかんもんたい。人間とは一生重いものをしかも重いものを担いで。
然も遠いころまで分からない道をせっせと歩いていくんだと。こんな無味乾燥な話があるもんかと私は思う。だんだん身が軽うなって、だんだん先の方に光りが見えてね、はぁあの光りを目指して行きゃというような楽しみもないでしょう。教祖様はそこんところを、信心は山登りと同じとこうおっしゃっておられる。いうならここでいうておらあれるように、十里の坂をとこういうておられますね、十里の坂をということは、やはりこれは信心の山だと思いますね。
十里の坂を登る。十里の坂を九里半しかし登っても、安心してはならんぞということは、慢心してはならんぞと。安心をするとすぐ後にもどると。ところがです信心をさせて頂いて段々十里の坂をね、一里二里のところまでそう感じなくても、段々三里四里とこう登って行っておりますとね、なるほどそこはそのう爪先登りの坂をこう登っていくのですから、楽じゃないでしょう。またはなら急坂があるかも知れん。急な坂があるかも知れん。それは息が切れる様にきついかも知れん。
けれどもねこの坂を登り越えたらここに楽しみがある。それは若い方達が山登りをするそれと同んなじです。重いリュックサックを担いだうえに、登って行く事が楽しみ頂上を極める喜び。視野が広がっていくところの、そのう景色の雄大さと言った様なものをね、眺めながらいく私は生き方。信心はそれだと思う。登って行けば登っていくほど有り難うなっていく。登っていけば登って行くほど、いわゆる人生観というものが段々深ぁい滋味豊なものになってくる。物の見方考え方ってものが見方が変わって来る。
実際に変わって来るんだ。だからもっと高い所へ実はどういうものが見える様になるやら分からんのですそれが楽しみ。そういう例えば登る楽しみという様なものがです、もう頂上は見えてるどこに見えてるか。生神金光大神という頂上か見えてるね。手本がある見本がある。この方のこの方の事を生神生神というけれども、みんなもこの様なおかげが受けられると。生神とはここに神が生まれるという事であって、この方がおかげの受け始め、みんなもこの様なおかげが受けられるという、はっきりそこに目指しがある。
そうでしょうが。その目指しがそこに見えてるんですから、それを目指してせっせと登ってくい楽しみ。それにはどうしても日に日に新でございますと、三代様がおっしゃった新な信心が必要なのですね、いわゆるあた、いわゆる元日の心なのです。そこでなら元日の心を頂くためには、私が元日の心になる為には、先ず日が暮れたら大晦日と思うてという信心が必要なのです。あぁ今日はもう年末いよいよ今日限りだとね。泣くも笑うも今日一日というようにです。
あれも整理しとかなきゃならん、これも片付けておかなければならない、あそこはお掃除しとかないけんと例えば、心にかかることのないほどにその日一日を、いわば充実した生き方ね。いうなら充実した信心生活。そこにはぁ今日もおかげを頂いて有り難うございましたと、お礼の言えれる締め括りが出来るのです。はぁ今日はきつかったきつかった。けれども有り難い一日であったということになるのです。万事万端の上にお繰り合わせを頂いて、おかげを頂いた。
そこんところの私は一日の締めくくりというかね、それを大晦日と思うてこういうこと。大晦日と思えれる為に一日の信心生活がね、いわゆる全ての事にです、お互いの生活の現場においてです、実意をもって丁寧の限りをまぁ尽くさせて頂くところの生き方。が願われるわけになります。今日私御神前で、あのお庭が出来ましたね客殿の前の庭、あれは、あそこを高原とみたてられたんですね、梅里先生。この庭をつくられた先生。それで向うに見えるいわゆる借景ね、いわゆる借りた景色ということですね。借景。
それが耳納山耳納連山なんです。ですからあの山と繋がらなければならない。あの山並みハイウェイなんかに行かれた方はね、あの高原ということがね分かるでしょう。あの道路がずっとあるところが、あの辺を高原という訳ですよね。そこの向こうにはいわば突き立つような山がこうそびえておりますでしょ。あの感じをあそこへ移そうとされた訳ですね。そこになら梅里先生の、まぁ苦心があった訳です。
ですからもう石組みなんかでも、普通でいうその名石といった様なのを使わずに、もう無造作な例えば岩のような石をね、もうこんな石が庭石になるだろうかと、いった様な庭石をこう組んでおられます。いかにもその高原。ですからあこう小高い山の様なところに植えてあるのも、高山植物ばかりね。あの銅山ツツジっていうですか、こりゃもう高山にしか生えないという植物なのです。あの辺一体の所をです、今日ご神眼に頂くんですよね。どういうことだろうかと。
そして今朝ここを頂ましたら、今の御理解81節。御理解81節ち言うたらもう、何回頂いたか分からないねぇあらゆる角度から、何回頂いたか分からんけれども、けれどもやっぱり同じ事を教えてくださる筈はないと思うておったら、ここんところね。向うへ降りたら安心じゃというところをです、この前はねあの世へ行ったら、言うところまでという意味だったですね、今日のここはそうではない。向うへ降りたらっていうのはです、日々ですね、日々が日が暮れたら大晦日と思えれるところまでの信心なんです。
そしたらもう明日の元日は絶対約束れさるのです。それはどういうことかというと、生き生きとした目出度い、しかも新な心なんです。明けましておめでとうございますといわなおれないほどの心なんです。日に日にさらな信心とね。この新な信心が頂けれる、日々新な信心が頂けれるというところまで、まいりますとですね、例えばなら朝参りなら朝参りがある。人力の限りを尽くして一生懸命眠いけれども寒いけれどもと、お参りをしている内にです、もうそれがね当たり前の事としてそれが平気で出来れる。
いや平気じゃない有り難く出来れるというおかげ。そうなったら安心じゃということ。はぁほんにこの朝参りは何時まで参らにゃんじゃろうかと、いう間はまだまだ駄目だ。朝参りがもう本当に楽しみ。しかも有り難いね、ここにはもう人力の限りではなくてです、もうこれはね神力無限。神の力は無限、限りのない世界に足を踏み入れとる姿ですね。普通からいうたら、ご苦労なこっちゃあるこげん早からお参りしてと。こげん寒かつにこの雨の降る中を、馬鹿らしかごたる。
信心の無かもんはそげん思う。信心の薄いものはそう思う。ところが参っとるの本人はそれが楽しいのであり、有り難いのである。ですからもうこれはもうそれこそ、力みかえったところのお参りではなくてですね。有り難く思える。これはねもう力みかえっておるというところも大事なんですね。ここんところが人力の限りを尽くしているところですから。ところが人力の限りを尽くさせて頂いていると何時の間にかね、無限の神力に触れていけれる、言うならばこれはもう高山でなからなければ生えない植物ね。
高い山でなからなければおれないところの植物。もう高いところにおらなければこれは頂けないおかげ。もうそれは誰にも説明する事すらも、本当は難しい程のものが、自分の心の中に頂けて来る様になる。勿論その心におかげが伴う言はもちろん。私共十里の坂を登ったら、段々段々十里のものとするならばですね、それを九里登り九里半登りというふうにして登ってまいりますとです、もう底にはそこでなからなければ生えないおかげ。おえない絶えない。
そこんところまで信心を進めなければ、分からない有り難い信心の境地というものが開けてくる。これはもう下のものでは分からない。その味わいというものは。そういう私は、私共の十里の坂を登ったらとおっしゃる、その道すがらにです、ほうここにここにはまちっと珍しい花が咲いとる。珍しいこれは木である。下の方にはこげなつはなかった、下界は下の方に見えておる。だんだん雲やら霞を超えている。それこそ雲の上に抜け出した富士山のようにね、いわゆるもう天に近づきょる。和賀心が神に近づきょる。
生神を目指しての信心がです、それこそ辺りの山を見下ろせる程しの、信心が段々段々出来ている、しかも登っていけれる、しかもあそこを目指しておるということが、有り難く楽しゅうなって来るというところの、基礎ともなるものが私は日が暮れたら大晦日と思うていう信心が出来る事だとこう思うです。だからそこんところまで信心が頂けたら、安心じゃとこういう。もう馬鹿らしゅうして下には降りられない。馬鹿らしゅうして家にじっとしちゃ居られない。ということにもなるのですよね。
ですからねやはり人力の限りを尽くす時にはですやはり苦しい。五十年の信心が続いてもね、そういう人力の限りを尽くさない信心はですね、そりゃもういうならば大根のようなもんですね。苦労がないから白ぃろしとる。大した事はなか。けれどもこの人力の限りを尽くさせて頂いたその向うに、神力無限の世界があるということを楽しみにです、行っておる内にいつの間にか、なら朝参りが有り難うなり楽しいものになって来た時にゃ、もう既に人力じゃないです。神様のおかげで参らせてもらっておる。
夜が日が暮れたら大晦日と思えれる、そこには元日のいわゆる夜が開けたら元日と思うてとおっしゃる、思わんでもそこにちゃんと思えれる、おかげが約束される。しかもここまで登らなければ分からない、いわゆる高山植物を眺めさせて頂きながら、私共の信心が高められていくわけです。そこんところの私は人力の限り一生懸命の、いわば信心をさせてもらう時がです、これは大根じゃなくて牛蒡の様なもんだと私は思うです。いわば大根とは違うて真っ黒うしとる。いわば苦労しておる訳苦労しておる。
しかも長ごう苦労しておるから、そのなら牛蒡というのがてすね、なんにでも使われる。ご祝儀の時にはしゃっち牛蒡使うておられた、いわば事はなかでしょう。ならご法事をするとだっちゃ、お葬式をするとだっちゃやっぱ牛蒡は使うちゃるごたるですね。もうがめ煮いっちょ作りゃもう先ず第一に牛蒡が必要である。というて牛蒡という野菜は、毎日毎日のお惣菜にねも、もう千切りにどもするならお弁当にお菜にでん、もうまぁ最高と思われるくらいな野菜である。
いわゆる使い道が広いのであるね。お祝いごとであろがね憂いごとであろうが、もう日常茶飯事の事の中であろうが、仕えれる信心。神様が求め給う氏子というのはそういう氏子ではなかろうかと。どういう御用にでも仕えれる氏子。神人を求め給うというが、神様が求め給うところの、いわば信者氏子とはどういう氏子か。たぁだおかげだけを願う氏子じゃなくてですね、神様それこそ役に立ちたい立ちたいという一念に燃えて、しかもそのお役にですどの様な事にでもむせない、どの様な事にでもハイと言えれる。
御用向きの広い御用の出来れる様な私はおかげ。そこに神様がまたその氏子の為に、広い深い意味合いにおいての、氏子の用は神が足してやるとおっしゃるようなおかげが頂けれるわけになります。皆さんどうでもひとつ牛蒡の信心を目指さないといけません。目指しておきませんとです少ぅしばっかり登って、少ぅしばっかり分かりますとですね、なるほど視野が開けてある意味合いで開けてきてですね、信心の薄いものやらないものやらから見ると、随分自分というものは物の見方考え方。
いわゆる人生観が変わったと思うて、ここまでくりゃもう大丈夫のように思うてですね、それ以上登ろうとしない。ならそういうそこまでの程度のですよ、信心がねなら五十年続いたってです、それは大した事はないということね。人力の限りを尽くして本当に神力無限の世界に一歩足を踏み入れ、そこに本当におかげでお参りが出来ると、おかげで御用が出来るという信心をです身に付けさせてもらう。それはね日が暮れたら大晦日と思うてというような日々が頂けれるような、信心を頂かせてもらうところ迄が。
私共の信心の目当てであり、それからは先にすすまなきゃ馬鹿らしなって来るね。そこまでいったら安心じゃというのは、その辺の信心の事を言われるのじゃなかろうかとこう思うのです。もうここにはすぐに戻るということのない信心。自分の足踏み状態のように、はぁあの時分はにゃ良か信心が出来たけれども、この頃はもうでけん。それでも一通りの事は分かった。おかげだけはこうやって頂いておる、なるほどおかげだけは頂いておるけれども、徳は受けられない。
そりゃ白いいうなら苦労のない大根のような信心ね、お互い大根のような信心から、ひとつ牛蒡の様な信心を目指させて頂いて、どういう例えば御用向きの広い、どういう御用にでもお使い回し頂けれる、信心を身に付けていきたい。今日はそういう意味をこの御理解81節から頂きましたね。どうぞひとつ日々の信心生活を本当に大事にさせてもらいませんとです、はぁ今日もおかげを頂いてというものが、いうならあれも片付いてこれもおかげを受けたという、大晦日の心というものが頂けません。
そういう信心を目指させてもろうてね、日に日に世が開けたら、元日というような、心持でです、日々をすごさせて頂く、そこにですね山登りの楽しさというものを、分からせてもらうね。信心のあるものと無いものは、そういうふうに違うてこなければならない。決して思い荷物を担いで、しかもどこまであるやら分からない、遠い道を行くようなものであるという。
例えば徳川家康でいやぁ人格においてもね、成功者という上においても、もう立派にそのう一生を全うした人なんですけれども。その人がギリギリいうておる事がこれなんです。いかに信心のあるものと無いものの違いを感ずるでしょうが。そして私共がそれを頂いてです、信心のない人達の場合は確かに、それを例え実行していったところで、救いのないね光のない世界、そういう世界を信心のない人の世界だというふうに私は思います。
どうぞ。